歴史

はじめに

「高崎まつり」とは1985年に始められた新しい祭りである。また、「高崎まつり」は、神仏の信仰に基づいたものではなく、市民が参加し楽しむ事が出来る事を目的とした「高崎の祭典」である。

高崎まつりの前身

明治維新以前 旧高崎藩主大河内家が祀る頼政神社の祭典が高崎の人々にとっても最大のまつりだった。山車数6台巡業
1868年 大河内家が東京に移ったため、頼政神社の祭典が衰退した。小正月の道祖神祭りが高崎のまつりとなった。
1900年 高崎市制執行
1915年 大正天皇即位式 山車数27台巡業
★2つの祭典に合わせ町内で山車を新しく作った例が多かった。この頃から高崎の祭典には、山車や御輿が出され、人々に意識されてきた。
1928年 昭和天皇即位式 山車数27台巡業
1939年 第二次世界大戦の為道祖神祭り中止
1948年 高崎祇園商業祭
★高崎神社境内になる八坂神社の祭礼を中心都市、夏の恵比寿講の様なものだった。高崎実業組合連合会主催、高崎市・高崎商工会議所後援の祭り。 高崎奉納祭
★高崎市・高崎商工会議所・高崎実業組合連合会が主催
1949年 市制50周年記念。戦後の早期復興を願い一年早く行われ、御輿、山車、花電車(路面電車5台)が出された。
1953年 高崎祇園商業祭にて八坂神社の奉納する御輿渡御が行われた。★群馬県護国神社の例大祭を中心としている。
1954年 全国煙火競技大会(現在の花火大会)開催
1955年 高崎奉納祭の特別版として「高崎まつり」開催。【高崎まつり】の名称が使われたのはこの時が最初。
1957年 花火事故のため「高崎まつり」の縮小
1961年 市制60周年、水道創設50周年、音楽センター落成記念
1966年 白衣大観音建立30周年の「高崎まつり」柴灯護摩が行われた。
1970年 白衣大観音で柴灯護摩が再び行われ白衣大観音恒例の行事となった。
1970年 市制70周年、水道設立60周年を記念して「高崎まつり」開催。34台の山車巡業。

ここまで、昭和20~40代は神社祭礼が中心とした商業、観光目的の祭りで行政主導のイベントであった。

高崎まつり

1975年 市制75周年。オイルショックにより「高崎まつり」を市が断念した。
市民からの山車を引きたいという希望があり JC(高崎青年会議所)が「高崎ふるさとまつり」と名付け高崎市の参画も補助金もない中、開催した。
「高崎ふるさとまつり」は、従来の商業目的・観光目的と違い 【市民の誰もが参加でき参加した人々が連帯感を持てる様な祭り】をコンセプトにした。行政が参加しない祭りのため、各町内に参加を呼びかけるのは大変なことだったと言われているが、でも厳しい中、23町内の協力で山車巡業も行う事が出来た。
JCは、75周年の記念行事として、一度だけのつもりで開催した「高崎まつり」だったが、手作りの祭りが好評を博し、毎年続ける事になった。
1976年 資金集めの為、ワッペン販売を開始。TSK・青経等の諸団体も参加。
1980年 市制80周年。市から補助金を受け、高崎市内のすべての山車(34台)が参加。
このような市民主体の祭りを群馬県内外で「高崎方式」と呼ばれた。
1984年 技能祭を同時開催
1985年 市制85周年を記念し、「高崎まつり」に名称変更し市が祭りに参画する様になった。 しかし、「高崎ふるさとまつり」の引き継ぐ意味から 「第11回高崎まつり」として開催された。 実行委員長を高崎観光協会の理事長が務め、観光協会内に実施本部を置いた。実施本部は、山車保存と、青年6団体(JC、TSK、青経、問屋町青経、水青会、紫電会)により運営されている。
1991年 市制90周年を記念して全町内会に山車の参加要請。36台参加。 高崎まつり写真コンクール開催 自由参加イベント等、山車の無い地域の人も参加できるイベントを多数始めた。
2000年 市制100周年を記念して全町内会に山車の参加要請。36台参加。
2003年 高崎伝統文化保存会、高崎氏子會発足。
2006年 平成18年に新生高崎市となり、実行委員会も新組織になり、第32回高崎まつりが始まりました。 「みせるための祭」として、三本柱(花火・山車・神輿)が主旨の高崎まつりがスタート。 この新組織も平成20年、第34回高崎まつりから青年5団体が加わり、実施本部(青年団体)の縁の下の力持ちと伝統文化実施本部(高崎氏子會)表舞台。第35回高崎まつりに「水青会」が加わり、青年6団体の実施本部スタート。
2010年 市制110周年を記念して全町内会に山車の参加要請。38台参加。
2024年 第50回 高崎まつり開催予定。